源氏物語 第24帖「胡蝶」

【あらすじ】光源氏36歳、三月。六条院・春の町で船楽を催しました。夜には管弦や舞が行われ公卿や親王も集まりましたが、玉鬘目当ての客も多くいました。

翌日には、秋の町に里下がり中の秋好中宮が仏事を主催し、船楽に訪れた公卿たちも引き続いて参列、紫の上は鳥や蝶の装束を着た女童(めのわらわ)らに桜や山吹を届けさせます。

初夏になると、玉鬘に多くの求婚者から恋文が届くようになりました。光源氏は、それらの恋文を読み、品定めし、扱い方を細かく指図する一方で、自身も玉鬘への思慕が抑え難くなってしまいます。そしてとうとう、ある夕方、想いを打ち明け傍に添い臥す光源氏。それ以上の行為は自制したものの、世慣れぬ玉鬘は養父からの思わぬ懸想にただただ困惑したのでした。

 

あー気持ち悪い、というのが最初の感想でした。。。だって、血がつながらないって言ったって立場は父親だし、言い寄っていくときの感じもなんか嫌なんですよね。。。まあ、光源氏は36歳、現代で考えれば男盛りといってもいい歳かもしれないし、人並み以上に優れた容姿ですから、ビジュアルで考えたら全然気持ち悪いことはないと思います。玉鬘は22歳で、当時だけでなく現代でも、年齢的にも大して問題ではないですよね。でもなぁ、、、この後もしばらく続くのです、この厄介な懸想が。で、ずっとキモいと思っていたのですが、ある時ふと思いました、「そうか、これは中年クライシスなんだ!」

以前に、河合隼雄さんの『中年クライシス』という本を読んだ際に、中年期の男性の思いがけない恋愛もクライシスの一つとして取り上げられていたのを思い出しました。そう思ったら、気持ち悪さも多少和らぎました笑。

 

この巻、前半は六条院で催された行事の様子で、聴いている時には特に何にも感じていなかった(というより、イメージが追いつかないのでかなり漠然と聴いていました)のですが、後から参考書・佐藤晃子著『源氏物語解剖図鑑』を読みまして、ずいぶん美しい催しだったんだなぁと感心してしまいました。『源氏物語』の中では数々の行事が催されていますが、ほぼ理解できていないので、改めて絵で解説してある資料集みたいなものを見てみたいなと思っています。着物の描写も全然イメージできてないのが残念。そのあたりを絵や動画で見たらまた、物語全体に対する印象も変わるのかもしれないですね。

源氏物語 第23帖「初音」

六条院での初めての正月が描かれます。

【あらすじ】光源氏、36歳。紫の上と歌を詠み交わし、新年を祝います。紫の上の元で養育されている明石の姫君に、生母・明石の君から贈り物と和歌が届き、哀れに思った光源氏は姫君自身に返事を書かせました。続いて、花散里、玉鬘を訪ねます。最後に明石の君の元を訪れた光源氏は、その夜はそのまま明石の君の所に泊まりました。

翌日は大勢の来客があり、饗宴や管弦の遊びが催されましたが、新年の挨拶に来た若者たちは皆、玉鬘を思って気もそぞろなのでした。

数日後、光源氏は二条東院の末摘花や空蝉を訪問しました。

この年は男踏歌があり、六条院に回りに来る際に玉鬘は紫の上や明石の姫君と対面し、共に見物しました。

 

明石の君の元に泊まった翌日、言い訳をする光源氏に、紫の上は返事もしません。これは面倒だと光源氏は狸寝入り、さらに来客の多さに紛らわし紫の上と顔を合わせることを避けるといった描写があり、現代にも通じそうな生々しさで思わず笑ってしまいました。

二条東院の末摘花を訪ねた時の様子も面白かったです。末摘花はかなり個性的で、それゆえ光源氏からの評価はかなり低いですが、現代の読者の視点だと面白い人物だなと思います。

「男踏歌(おとことうか)」って耳で聴いていると字もわからないし、なに?? という感じだったのですが、wikiによると「宮中で天皇が踏歌を見る正月の年中行事」、「踏歌」は「多数の人が足で地面を踏みならし列を作り行進して歌い踊る、古代の群集舞踏」とありました。

源氏物語 第22帖「玉鬘」

「玉鬘十帖」の始まりです。

【あらすじ】光源氏の亡き恋人・夕顔が遺した娘(玉鬘)は、4歳のとき乳母一家に伴われて筑紫(北九州)へ下りました。その後、乳母の夫が死去し、上京できぬまま20歳を迎えてしまいます。多くの者に求婚されたため、病気で結婚できないと断り続けていました。しかし、土地の有力者である肥後の豪族・大夫監の強引な求婚にはなす術がなく、仕方なく、乳母たちと玉鬘は当てのないまま京に上ります。

上京はしたものの、行く所のない玉鬘一行は、神仏に願掛けしようと、長谷寺のご利益を頼み参詣の旅に出ました。すると偶然、元の夕顔の侍女で現在は光源氏に仕える右近と再会します。父である内大臣(頭中将)に知らせてほしいと願う玉鬘たちに、右近は光源氏が探していることを伝えました。

右近から報告を受けた光源氏は、玉鬘を自分の娘ということにして六条院に引き取り、花散里を後見に夏の町の西の対に住まわせます。その年の暮れ、光源氏は六条院の女性たちに新年の晴れ着を贈ったのでした。

 

この巻、ほとんど光源氏と関係なく話が進み、これだけで一つの物語のようでもあり、特に前半、すごく引き込まれました。幼くして京を離れた玉鬘がどうやって再び京に上り光源氏の元まで辿り着くのか、頼りになりそうな人も死んじゃったりして、もう絶対無理でしょって感じがするのでハラハラドキドキしながら聴きました。

田舎の豪族に求婚され、乳母一家の兄弟間で分裂が起きたりするあたりは、けっこう面白かったです。

そして、とうとうめぐり逢った玉鬘たちと右近。右近の側からすると、夕顔の最期も知っているし光源氏の長年の思いも知っているので、とにかく光源氏に会わせようとなるわけですが、玉鬘の方からしたら、えっ、お父さんに会わせてよって思いますよね。苦労の末に京に辿り着き、ようやく落ち着く先にもありつけたわけですが、万事OKという感じでもないようです。

 

終わりの方で、急に光源氏が女性たちに着物を配り、なんだ?? と思ったのですが、年末に晴れ着を贈る「衣配り」という行事というか風習があったのですね。

この部分では、誰にどんな装束を贈るかが細かく語られ見せ場になっていました。

源氏物語 第21帖「少女(おとめ)」

光源氏と故・葵の上の子供、夕霧が登場。世代交代が語られます。

【あらすじ】

新しい年が明け、藤壺の一周忌も過ぎました。

光源氏朝顔の姫君の関係が進展することはありませんでした。

光源氏の長男・夕霧が元服を迎えました。光源氏は、夕霧の位を六位にとどめ、大学に入れ勉学に専念させることにします。

同じ年、梅壺女御(光源氏の養女)が冷泉帝の中宮立后し、光源氏太政大臣になりました。内大臣に昇進したものの、立后争いでは光源氏に負けた形になってしまった右大将(頭中将)は、それでは次女の雲居の雁を東宮妃にしようと考えます。しかし、祖母・大宮に預けられている雲居の雁は、同じく大宮に可愛がられて育った夕霧と、恋仲になっていたのでした。それを知った内大臣は激怒、2人の仲を引き離します。

その後、夕霧は試験に合格し、五位の侍従となりました。

翌年8月、光源氏が造営していた邸宅・六条院が完成します。

 

位は思ったより低く、恋人とも引き離された夕霧くん。切なかったです。恋人と別れを惜しんでいたら、恋人・雲居の雁の女房から「内大臣様の姫君のお相手が六位なんて……」などと言われてしまう。ほんと可哀想。。。絶対見返してやる!とばかり、この言葉を後々まで忘れないんですよね。そりゃ、そうだ。

当時、権門の子弟が元服すると一定の叙位を受けることが普通だったが、夕霧は実質上、貴族社会の最下位である六位に。貴族と呼ばれるのは五位からなので、これは異例の待遇である。

佐藤晃子著『源氏物語解剖図鑑』より

しかし、解説を読むと、女房の言葉も仕方ないかもと思えてきます。夕霧のばあば・大宮がものすごく嘆いていたのも納得です。恋愛もできない寂しい夕霧くんは、お父さんの教育方針に従って、勉学に励みます。素直! 真面目な良い子なんですよね。よけいに応援したくなる笑。でも、父・光源氏の教育方針、実は、、、

物語が書かれた一条朝には、大学領に入る上流貴族はほとんどおらず、現実は非学歴社会だった。夕霧が勉学に励み出世していく様は、紫式部が思う学問の理想を描いた場面だといえる。

佐藤晃子著『源氏物語解剖図鑑』より

そうなんですね。これは勉強になりました。

 

さて、この章の最後には、光源氏の大邸宅・六条院が完成します。何度聴いても、どこに誰が住んでるのか頭に入ってこなかった。。。ここで整理しておけば大丈夫、ということで

南東・春の町・・・光源氏と紫の上

北東・夏の町・・・花散里

南西・秋の町・・・秋好中宮(梅壺女御=六条御息所の娘)の里邸

北西・冬の街・・・明石の君

源氏物語 第20帖「朝顔」

【あらすじ】

賀茂斎院を務めていた朝顔の姫君は、父・桃園式部卿宮(光源氏の叔父)が亡くなったので斎院を退き、亡き父の邸に移り住みました。

若い頃から朝顔の姫君に好意を寄せていた光源氏は、叔母・女五の宮のお見舞いを口実に頻繁に桃園邸を訪ねます。朝顔の姫君は、光源氏と深い仲になることを恐れ拒みましたが、世間では2人の仲が噂になり、紫の上は不安になるのでした。

ある雪の夜、光源氏は今まで関わり合いのあった女性たちのことを語りつつ、紫の上を慰めました。その晩の夢に藤壺が現れ、罪が知れて苦しんでいるといって光源氏を恨みます。翌日、光源氏藤壺のために密かに供養を行いました。

 

朝顔の姫君。ご本人がようやく登場しました!

実はいきなり2帖「箒木」に名前だけですが登場しているんですよね。光源氏は、雨夜の品定めの翌日、方違えで紀伊守邸を訪れ、ここで空蝉と出会うわけですが、この時、紀伊守邸の女房たちが、光源氏について噂話をする、その中で「朝顔の姫君に歌を贈られたらしい」と語られています。

次に出てくるのが、9帖「葵」。六条御息所と葵の上の車争いを目撃した朝顔の姫君は、「六条御息所のようになりたくない」と考えるようになります。が、そんなこととは知らない光源氏は、第10帖「賢木」で、すでに賀茂斎院となっていた朝顔の姫君に文を贈ったりしています。

光源氏朝顔の姫君のことが、ずーっと好きなんですよね。

障害の多い恋に執着する、恋心を抱くとあきらめない−−光源氏にはそんな「恋愛癖」があった。その癖は32歳になっても健在で、今度のお相手は、光源氏が17歳のときから言い寄るもつれないいとこ、朝顔の姫君である。

佐藤晃子著『源氏物語解剖図鑑』より

やれやれ、と思わず呟いてしまいます。。。

 

でも、今回はしょうもない、いつもの浮気癖ね、では済まされないのです。

なぜなら、朝顔の姫君は位が高い!仮に朝顔の姫君が光源氏の妻になったとしたら、紫の上は格下なので、第一の妻の座にはいられなくなってしまいます。それを考えると、光源氏がそうとうひどい奴に思えてきました。紫の上だって生まれは良いのに、父親に知らせず勝手にさらってきたのは光源氏その人ですからね、最後までちゃんと責任持ってほしい、ほんとに。

この後も光源氏のこの「恋愛癖」は変わらず、女性に言い寄る場面が出てくるのですが、もはや気持ち悪いと思ってしまう。でも、見目麗しく教養も地位もあって拒む方が難しいらしい。となってくると、拒み通した朝顔の姫君はすごい! 好きなキャラクターの1人になりました笑。作中では、周囲の人から「拒むなんて変人」と思われているんですけどね。

源氏物語 第19帖「薄雲」

悲しい出来事の多い章です。

【あらすじ】

明石の君が断腸の思いで娘を手放すことを決意。

光源氏が迎えに来て明石の姫君は二条院に引き取られて行きました。

翌年、光源氏の義父・太政大臣が亡くなります。その後も天変が相次ぎ、そして、3月、病に臥していた藤壺崩御光源氏は悲嘆に暮れます。

藤壺の49日が過ぎた頃、夜居の僧都(よいのそうず・帝の祈祷僧)から実の父親は光源氏だと聞いた冷泉帝は、実の父を臣下にしておくわけにはいかないと、光源氏に譲位の意向を示しますが、光源氏はそれを固辞しました。

 

明石の君が子供を手放す決意をするところも切ないのですが、光源氏の迎えが来た時に、姫君が「お母様も車に乗って」と袖を引くところが、たまらなく悲しかったです。せめてもの救いは、紫の上はきっと優しい母親になるだろうと思われること。姫君のおかげで、明石の君に対する紫の上の感情も少し和らいだ様子なのもよかったなと思いました。

 

いよいよ光源氏の息子・冷泉帝が出生の秘密を知ったわけですが、「帝が知らないでいたら神仏の咎めを受けるかも」という故藤壺僧都の心配、「父を臣下しておくなど申し訳ない」という冷泉帝の反応、それぞれ、昔の人は信心深いんだなぁくらいにしか考えてなかったのですが

出生の秘密を知った冷泉帝は、14歳だった。母(藤壺)を亡くし、悲しみに暮れているときに、自身が桐壺帝の子ではなく不義の子と知るなど、多感な年齢だけに受けたショックは計り知れないものがある。嫌になって気持ちが荒んでもおかしくはないが、冷泉帝は思いやりのある孝行息子だった。両親を恨まず、父を臣下として扱ってきたことを申し訳なく思い、帝位を譲ろうとした。

佐藤晃子著『源氏物語解剖図鑑』より

やっぱり、冷泉帝がいい子だったんですね。いやぁ、それにしても光源氏ってラッキーな奴だなぁと思ってしまいました。でもまあ、この後、自分も妻に裏切られますもんね。全ては前世からの因縁なんでしょうか。

真実を知った帝が親を大切に思ってくれたことで、光源氏は隠れた帝の父となったのだ。互いに口にはせずとも、親子の連携は不動のものとなり、光源氏は朝廷での立場を一層強め、栄華を確立していくことになる。

佐藤晃子著『源氏物語解剖図鑑』より

いずれにしろ、今後ますます、政治的には栄華を極めていくことになりそうです。

源氏物語 第18帖「松風」

【あらすじ】

光源氏31才の秋、二条東院(にじょうひがしのいん)が完成しました。

西の対に花散里を迎えた後、東の対には明石の君を迎えるつもりでしたが、明石の君は上京を決意することができません。

明石の入道は、大堰川の近くに明石の君の母親である尼君の祖父が所有していた山荘があることを思い出し、そこを修理して明石の君を住まわせることにします。山荘の近くには、折よく、近頃光源氏が建立した嵯峨野の御堂があるのでした。

明石の君の上京後、光源氏は紫の上に気を遣いながら、御堂の様子を見に行くとの口実で大堰の山荘を訪れます。3年ぶりに再会した光源氏と明石の君。娘である明石の姫君とも初対面した光源氏は、その愛らしさに感嘆しました。

光源氏は、姫君を都へ迎えたいと考え、紫の上に養女にして育ててほしいと相談するのでした。

 

オーディブルで聴いていますので、最初に「おおい」と耳にしたときは、「大井」と思ってしまい、静岡県にある「大井川」のことが思い浮かんでしまいましたが笑、もちろんそんなはずもなく、桂川のことなんですね。佐藤晃子著『源氏物語解剖図鑑』には

現在の京都嵐山、渡月橋の上流左岸域が物語の舞台か。都から少し離れた郊外で、明石の浦の景色を思い出させる場所だ。

と、書かれていました。

 

しかし、しのごの言わずに二条東院に入ればいいじゃないかと、何もわかっていない私は思ってしまったのですが、、、

明石の君が光源氏邸に移り住むと、明石の君は光源氏のお手付きの女房程度の扱いにされてしまう。ここでも明石の君は、光源氏を大堰まで通わせ、対等な関係であることをアピールした。

佐藤晃子著『源氏物語解剖図鑑』より

なるほどそんな深い理由があるのかととても納得しました。明石の君のために住むところを用意してあげたなんて素敵! なんて思ってる場合ではなかったのですね。

それにしても、上京するときも、そして今後娘を手放すときも、明石の君が悲壮で。皇后になる子を産む宿縁とかどうでもいいから、もっと平和に過ごさせてあげたかったと気の毒になりました。